大阪地方裁判所 昭和26年(行)18号 判決 1961年4月08日
原告 名井得三
訴訟承継人 名井マツ子 外二名
被告 旭税務署長
主文
一、被告が名井得三の昭和二四年度所得税につき昭和二五年八月二〇日なした更正処分(その後昭和二九年三月一一日大阪国税局長の審査決定により一部取消)のうち、所得額二三、九八七、九七六円四二銭を超える部分を取り消す。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告の申立、主張、立証
(一) 請求の趣旨
「一、被告が名井得三の昭和二四年度所得税につき、昭和二五年八月二〇日なした更正処分(その後昭和二九年三月一一日大阪国税局長の審査決定により一部取消)のうち、所得額一、四四五、〇〇〇円を超過する部分を取り消す。
二、訴訟費用は被告の負担とする。」
との判決を求める。
(二) 事実関係
(A) 請求の原因
原告等は昭和三三年七月四日死亡した名井得三の相続人として同人の地位を承継した。
名井得三は繊維類、同製品の売買を業としていた者である。昭和二四年度の所得として別表第一の上段のとおり申告し、その税額七九七、五六五円は昭和二五年一月中に納付したところ、被告は昭和二五年八月二〇日別表第一の下段のとおり昭和二四年度の所得金額を二四、四八七、九七六円とする旨の更正処分をなし、原告は同月二七日その旨の通知を受けた。
得三はこれに対し、大阪国税局長に審査請求をした結果、被告のなした右更正処分の一部は取り消されたが、昭和二四年度の所得金額中まだ取り消されていない、原告の申告した一、四四五、〇〇〇円を超える部分は得三の所得額の認定を誤つた結果による違法な処分である。
別表第二の審査決定額欄中(三)のうちの鈴木関係の経費、(四)(五)(六)(七)(八)を争うがその他の被告主張事実は全部認める。
別表第二の(六)の鈴木委託関係について。
これは鈴木文平との間の委託契約に基づき原告がなした綿織物四、四三五反の加工販売の金額で、その内訳は次のとおりである。これは原告の所得ではなく、鈴木の所得となるべきである。なお得三の受けるべき利益については未精算である。
売上金額 一九、三八四、八八八円
支払金額 一六、一五七、一四八円六六銭
差引 三、二二七、七三九円三四銭
別表第二の(七)(八)の金額について。
得三は当時同一の事業を目的とする東洋晒染工業株式会社(以下単に東洋晒染という)および中央染工株式会社(以下単に中央染工という)に社長または相談役として関係し、実質的に両会社を支配しており、得三の金銭出納と両会社の金銭出納は混然としており、その利益の帰属についてははつきりしないものがあつた。一五、〇〇〇、〇〇〇円の無記名定期預金は両会社の所得であるが始めは会社の帳簿には載つていなかつた。昭和二四年九月大阪国税局調査査察部調査課法人係で右両会社を調査した際、預金のあることを発見された。当時は両会社への帰属割合が明確でなかつたため、調査した係官の示唆に基づいて一五、〇〇〇、〇〇〇円を半分ずつに分け、正式に両会社の所得として計上された。両会社は株式総会でこれを承認し、得三の所得とは関係がなくなつてしまつた(甲第六ないし第二二号証参照)。両会社の所得として私法上も公法上も確定した一五、〇〇〇、〇〇〇円について更に得三の所得として計上することは許されない。
原告の計算によれば課税総所得金額は一、一四九、五三一円四六銭となるべきであるが、(訴状第五項末尾に「差引一九、三四〇、三七九円八〇銭」とあるのは一九、三七七、二七四円八〇銭」、第八項末尾に「一、一一二、六四〇円」とあるのは「一、一四九、五三五円四六銭」の誤記と認める)、原告は先の確定申告において、所得額を一、四四五、〇〇〇円として申告しているので、大阪国税局長の審査決定で一部変更された被告の更正処分中一、四四五、〇〇〇円を超える部分の取消を求めるものである。
(B) 被告の主張に対する答弁
別表第二の(六)の委託販売について、
本件委託販売契約の未清算金については、その後名井商店の東京支店で昭和二五年一月一〇日に二〇、〇〇〇円、同年同月一二日に五〇、〇〇〇円、同年同月一六日に二〇、〇〇〇円が仮払されている。以上のように仮払しつつあつたところ、たまたま鈴木文平、名井得三が臨時物資需給調整法ならびに物価統制令違反で起訴され、ひきつづき得三は所得税法違反で起訴されたため、清算されないまま今日に至つている。被告は支那綿は委託販売の商品として適性がない旨主張するが統制のやかましかつた当時では支邦綿は誰も自由に取り扱われるものではなく、東津紡績株式会社と特殊の関係のあつた得三にして始めて市場性のある商品に加工できたのである。
別表第二の(七)、(八)について。
得三の昭和二四年度の売上金額の内訳は審査請求で一部訂正されたほかは被告主張の別表第四のとおりである。しかしその売上収入の中には東洋晒染と中央染工に属する収入金額が売り上げとして混入されている。これが後に形をかえて両会社の無記名定期預金となつたものである。無記名定期預金各七、五〇〇、〇〇〇円を東洋晒染と中央染工の雑収入として利益金の追加申告をしたのは、昭和二四年上半期決済においてであつて、右措置に基づき、帳簿は修正記帳されている。被告が主張するように、それから一年後になされた大阪国税局の個人所得の調査を予測し、個人に対する課税を免れるために法人で課税を受けたという理由は成り立たない(証人府中の証言参照)。
被告は「フエンツ」の取引を始めから両会社の取引として帰属させるべきである両会社とも当座預金口座を持つていたのであるからその必要はなかつた」と主張するがそのように経理的にはつきりできるものではない。両会社の裏勘定として特に名井得三名義の会社のための口座を設けたものであつて、名井個人としては別に名井商店名井得三として住友銀行天六支店との取引があり、両者は全然区別されている。
両会社は昭和二四年六月以降にもフエンツの発生はあつたかもしれないがそれは両会社に関することで、その処理がいかになされたかは本件には関係がない。
フエンツのことについて、証人川久保の証言中「得三、川本、川久保のみしか知らない」というのはフエンツを大阪へ送つて来てそれを現金化し両会社に適当に処理したということを右三名のみが知つていたという意味である。
(三) 証拠関係<省略>
被告の申立、主張、立証
(一) 請求の趣旨に対する申立
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。
(二) 請求の原因に対する答弁ならびに被告の主張
原告等が昭和三三年七月四日死亡した名井得三の相続人として同人の地位を承継したこと、名井得三が繊維類、同製品の売買を業としている者であること、同人の昭和二四年度の所得につき得三が原告主張のような申告をしたこと、被告が原告主張の日に主張のような更正処分をなし、その旨通知したこと、被告の更正処分がその後大阪国税局長の審査決定により一部取り消されたことは認めるが、原告その余の主張事実は争う。
被告の更正した得三の所得金額、得三の審査請求額、大阪国税局長の審査決定額および各その内訳は別表第二のとおりであり、被告の更正所得金額中事業所得の収支計算は別表第三のとおりであり、収入金額の内訳は別表第四のとおりである。名井得三の表勘定の収入金額は大阪市旭区赤川町における名井商店および名井商店東京支店の収入金額でいずれも原告の計算どおりであるが裏勘定の収入金額は得三のブローカー的取引によるもので、これについては全然得三から申告がなく、かつ、記載もされていない。そこで被告の調査により発見した右取引に使用した別表第四記載の各銀行の入金額について、得三、川久保栄三に収入金額に相当する金額を個々に区分抽出させて集計した金額その結果判明した取引先の未収金の合計額が別表第四である。ただし得三からの申出があり、これを認めて前記のとおり審査決定がなされた。
別表第二の(四)の貸倒金について。
原告は、山田商店の貸倒金を所得計算上必要経費に算入すべきであると主張する。しかし右は必要経費にはならない。売掛金についてその全部または一部を貸倒金として所得税法上必要経費に算入することのできる場合にあたらない。貸倒金は債務者が破産、和議、強制執行、整理、解散死亡、失そう、刑の執行等の事情により回収不能となつた場合に当該貸倒金の生じた日の属する年度分の必要経費に計上することが認められるものであるところ、株式会社山田商店は昭和二五年七月三一日株主総会の解散決議により同年八月一四日に解散登記したものである。したがつて昭和二四年度の貸倒金ではない。
別表第二の(五)のたな卸評価額について。
原告は、「昭和二四年末在庫商品は買入単価で評価計上しているが物価の下落により時価をもつて評価すれば一、〇三七、八八九円二三銭の評価損となるから、この部分は必要経費として控除すべきである。」と主張するが、右主張は認められない。「在庫品の評価は法人税法施行規則第一七条の二のように明文の規定の存する場合は格別、所得税法第一二条の九に明定するとおり、その取得価格(買入価格)をもつて評価計上すべきであることは明らかである。所得税法第一〇条には「必要経費」の意義を「総収入金額から控除すべき経費は………仕入品の原価……で当該総収入金額を得るために必要なものとする」と規定している。このように仕入品の原価の計算は仕入価格で評価した期首在庫商品のたな卸金額に、当期に仕入れた仕入商品の合計額を加え、仕入価格で評価した期末在庫商品のたな卸金額を除算して計算しなければならないから、原告の主張するような時価による評価換えに基づく帳簿価額の減額すなわち評価損は許されない。時価の下落により在庫品の評価額としての帳簿価額が時価以下となつたために生ずる評価損の具体的表現は時価以上の評価となつた帳簿価額を次期に繰越すことによつて、次期の事業(売買等)を通じて自ら達成されるのである。なお個人の所得の計算にあたつて時価の下落による評価損の具体的表現について現行租税制度として青色申告を提出する者で承認を受けたものは租税特別措置法第五条の九に規定する価格変動準備金の制度が存するが(右制度は昭和二六年法律第三〇三号をもつて新設された)係争年度においてかかる制度についての立法措置はなかつたのである。
別表第二の(六)鈴木委託関係について。
原告は、右は鈴木文平との間において販売の委託を受けたもので、原告の所得には関係ないと主張するが、次の(イ)ないし(ヘ)の諸事実を総合すれば右主張は認められない。
(イ) 原告は昭和二五年九月二三日付審査請求書では鈴木文平との取引を委託取引であるとは全く主張せず、かえつて売上仕入金額として計上し、原告の所得と関係せしめていた。それから二年経過した昭和二七年九月一日付陳述書で始めて態度を変更し、委託関係であると言い出したものである。
(ロ) 鈴不文平との取引が委託関係であるならば、委託契約書があるはずであるがそれがなく、委託契約の本質として手数料の取り決めがなされていなければならないのであるが、手数料の取り決めも、手数料計算の基礎に関する取り決めもなされていない。
(ハ) 鈴木のような大洋貿易、青山圭子、小松一郎等の架空の名義を使つて多種の闇取引を行ない(甲第五号証参照)、臨時物資需給調整法、物価統制令違反、詐欺被告事件として起訴された人物が、講和条約発効による免訴の言渡を受けてから数年を経た今日まで三、二二〇、〇〇〇円余にのぼる大金(今日でも勿論大金であるが、当時にあつては極めて大金である)について全く清算していない。
(ニ) 委託販売であれば販売代金の全額を委託者に送付し、手数料の割り戻しを受けるか、または手数料を控除した販売代金を送付するかであるが、そうだとすればその都度精算書(計算書)が作成されねばならないはずであるが、これらについても作成された形跡がない。
(ホ) 委託品の取引に関する会計処理は明瞭性の原則から受託販売勘定である人名勘定で処理するのが原則であるが、得三は売上、仕入勘定で処理している。
(ヘ) 元来委託販売が行なわれるような商品はあまり市場性がない場合か、または当該商品の販売について売主が全くの素人で直接販売に従事すれば不測の損害を蒙るおそれが多分にあるので、最低販売価格(希望売却価格)を指定して販売させる場合等であるのが普通であるのに、得三が委託販売と称する支那綿は市場性があり、鈴木は素人でもない。そのうえ本件支那綿は糸にして織物にしたうえ、さらして染め上げて販売されたものである。
別表第二の(七)、(八)の貸付金について。
原告は別表第二の(七)は中央染工の(八)は東洋晒染の資産と主張するが、右は訴外会社の資産ではなく、原告の資産である。
すなわち、(七)の(イ)の第一銀行五条支店設定無記名定期預金第九六一四号二、〇〇〇、〇〇〇円は得三名義の当座預金から振り替えられたもの、(ロ)の三和銀行守口支店設定無記名定期預金第一一号五、五〇〇、〇〇〇円は同支店における原告名義の当座預金から振り替えられたもの、(八)の(イ)の三和銀行守口支店設定無記名定期預金は同支店における得三名義の当座預金から振り替えられたもの(ロ)(ハ)の第一銀行百万遍支店設定の無記名定期預金第八七六二号、第八七六五号の各一、五〇〇、〇〇〇円計三、〇〇〇、〇〇〇円は三和銀行守口支店における得三名義の当座預金から振り替えられたものである。得三の当座預金というのは(1) 売上その他の入金額があり、(2) 支出額があり、(3) 最後に残額として生じたものである。被告が得三の収入に計上したのは、前記(1) の入金額のうち売上金に相当する金額である。原告のいう中央染工、東洋晒染の無記名定期預金各七、五〇〇、〇〇〇円は前記(3) の残額に当るわけで、この各七、五〇〇、〇〇〇円をそのまま得三の収入として課税の対象としたのではない。原告のいう両会社の無記名定期預金各七、五〇〇、〇〇〇円がすべてフエンツの売上であるとするのは残額即売上という論理的にみて許されない理論である。
得三は大阪国税局の調査により発見された前記無記名定期預金が個人所得として課税を受けるならば相当の重課となるので、それを免れるため、実質的に得三の支配する会社である東洋晒染、中央染工の所得としたものと考えられる。すなわち両会社ともに相当の赤字で(甲第一〇、第一七号証参照)、前記無記名定期預金相当額各七、五〇〇、〇〇〇円を雑収入に計上しても中央染工は全く課税を生ぜず(甲第一七号証参照)、東洋晒染は四、〇〇〇、〇〇〇円余の課税所得となるだけであることをよいことにして両会社の雑収として計上したものと考えられる。川久保証人は「得三のブローカー的取引による利益の大部分はいわゆるフエンツの販売によるが、フエンツは東洋晒染と中央染工の両会社のものであるから、その利益もまた両会社に帰属する」旨証言しているが果して然らばフエンツのすべての取引を始めから両会社の取引として帰属させるべきであり、たまたま無記名定期預金となつていたところの一五、〇〇〇、〇〇〇円だけを両会社に等分に帰属させるということ自体極めて不自然である。また川久保証人は「フエンツに関する経理は両会社も得三も帳簿によらず、もつぱら預金の取引によつていた」旨証言しているが得三が東洋晒染の社長であり、中央染工相談役であつたが故に両会社が得三名義の預金口座を利用させて貰つたというのであれば、両会社が自己のフエンツ販売等による収支と別人格の得三のフエンツ以外の商品の販売等による収支が区分できないような経理方法をとるはずがなく、両会社とも当座預金口座を持つていたのであるから、その必要もなかつたはずである。
原告は「両会社の裏勘定として特に名井名義の会社のための口座を設けた」と主張するが、得三がいわゆる裏勘定として用いた口座は三和銀行守口支店の名井得三、名井商店名井得三、新井基一、大和銀行堂島支店の名井得三、第一銀行堂島支店の名井得三の五口座であり(甲第二三号証参照)、これらの口座への入金額中相手方の判明しない商品売上金額だけでも二〇、七九六、二〇七円六六銭あり(乙第二号証中昭和二五年七月三日付川久保栄三の供述調書第七項参照)、原告のいう一五、〇〇〇〇〇〇円を超過する。ということはこれら五口座の入金額中には原告のいうフエンツ以外の売上が入金されているということであり、原告の主張するように「特に名井名義の会社のための口座を設け、全然区別されていた」のではないことを示すものである。
中央染工は捺染専門、東洋晒染は晒専門であるから(川久保証言参照)、フエンツがあつたとしてもその質ないし量は当然差異が生ずべきはずであるにかかわらず(このことは甲第一〇、一一、一七号証に明らかなように両会社の加工料収入を対比しても明らかである)、東洋晒染と中央染工とに同額の七、五〇〇〇〇〇円を雑収入として計上したのも極めて不合理である。
別表第二の(七)の(イ)(ロ)、(八)の(イ)(ロ)(ハ)の各無記名定期預金は昭和二四年四月一五日より同年六月九日までの間に設定されているが、両会社とも昭和二四年は一年を通じて全開運転していたのであるから(川久保証言参照)、同年六月以後も同様フエンツができなければならないのに、昭和二四年一一月の両会社の決算期にフエンツの売上の計上(会社の計算によれば雑収入の計上)はたまたま右無記名定期預金となつていた一五、〇〇〇、〇〇〇円に限られていることも不合理である。原告は「昭和二四年六月以降にもフエンツの発生はあつたかも知れないが、それは両会社に関することで、どのように処理されたかは本件に関係がない」と説明を回避するが、得三は実質的に両会社を支配していたのであるから、その間の事情は十分知つているはずである。にもかかわらず説明を回避するのは原告のいう両会社に発生したフエンツの売上というのは、実は然らずして得三個人の闇取引による所得であることを物語るものである。
原告のいうようにフエンツは両会社のものであり、したがつてその販売代金も両会社のものだとすれば、どれだけの量のフエンツが得三等に送られどれだけの代金で販売され、その販売代金のどれだけが会社に還元されたか残額はいくらかということは会社も得三も知悉していなければならないはずである。川久保証人は「フエンツの取引を知つているのは得三と川本正己と私くらいのものです」と証言しているが得三が社長であつた東洋晒染はしばらくおくとして、中央染工について、相談役である得三と元来は東洋晒染の社員であつて銀行取引にだけ関与した川久保栄三と常務取締役である川本正已だけ知つていて社長以下全く知らなかつたというようなことは(経理担当者である佐治嘉一郎が知らなかつたことにつき甲第二六号証参照)、全く常識に反することである。
以上のように原告の主張ならびに川久保証言は矛盾に満ちたもので得三の検察官に対する供述調書において得三が「私は自分の所得のほとんどすべてをこの両会社に匿名で貸し付けております。………この貸金は会社の出目を売つて作つたものでもなく、また会社の社長として預つていたものでもなく……」と供述し(乙第二号証参照)、刑事公判廷において川久保証人が検察官の「名井商店の本来の取扱品目は何ですか」との問に対し、「作業衣、学童服等統制品ですが、ブローカー的取引で扱つた品目はスフのカツターシヤツ、スフの肌着、チヨツキ、ズツクのバツグ、毛皮、かや、ミシンの部品等です」と答えている事実(甲第二三号証参照)等からすれば、一五、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金はフエンツの売上げとはとうてい考えられず、得三がブローカー的取引でえたものと認められ、右取引から生ずる所得はすべて得三に帰属したというべきである。
(三) 証拠関係<省略>
理由
原告等は昭和三三年七月四日死亡した名井得三の相続人として同人の地位を承継したものであること、名井得三は繊維類、同製品の売買を業とする者であること、伺人の昭和二四年度の所得につき、得三が別表第一上段記載のとおり申告したこと、被告がこれに対し昭和二五年八月二〇日同表下段に記載のとおり更正処分をなし、その旨得三に通知したこと、得三はこれに対し大阪国税局長に別表第二の中段のとおり審査請求した結果、同表下段のとおり被告の更正処分が一部取り消されたこと、同表下段の審査決定額の諸金額中、事業所得、給与所得、不動産所得、(一)売上の減少、(二)仕入の増加、(三)経費の減少のうち沢村厳関係の部分の各金額については当事者間に争いがない。
昭和二四年度の名井得三の課税所得の算定についての原被告間の争点は、別表第二の(四)貸倒金、(五)在庫品たな卸評価損、(六)鈴木委託関係、(七)中央染工貸付金、(八)東洋晒染貸付金を原告主張のとおり認めるか否かの点にある。以下右の順を追つて検討する。
(四)の貸倒金について。
貸倒金が所得額算定に当り、昭和二四年当時施行されていた所得税法第一〇条第二項にいわゆる「その他収入を得るために必要な経費」として「総収入金額から控除すべき経費」といえるためには、当該年度の所得確定申告書提出期限(本件にあつては昭和二五年一月三一日)までに債権の取立不能または放棄の事実が確定している場合でなければならないと解する。
成立に争いのない乙第一号証と証人伝崎正郎の証言を総合すれば株式会社山田商店が株主総会で解散の決議をしたのは昭和二五年七月三一日であつて、名井得三が昭和二五年一月に昭和二四年度の確定申告書を提出した際には、なお回収の見込みある売掛金債権と計上している事実が認められるので株式会社山田商店に対する売掛金は昭和二四年度の「総収入から控除すべき経費」としての貸倒金とはならないものと認められる。
(五)の在庫品たな卸評価損について。
買入商品の価格の下落による評価損は必要経費とならないことならびにその理由は被告主張のとおりである。
(六)の鈴木委託関係について。
証人伝崎正郎の証言によれば次の事実が認められる。「得三が昭和二五年九月二三日大阪国税局長に提出した審査請求書では鈴木文平との取引が委託販売である旨の主張はなく、売上、仕入金額として計上していた。その後昭和二七年九月一日付同局長宛の陳述書で始めて委託関係であることを主張して来た。
得三と鈴木間の委託契約書なるものはなく、またその取り決めもなく、手数料授受の事実もない。委託関係の取引における会計処理は受託販売勘定である人名勘定で処理するのが適当であるのに得三の場合は売上仕入勘定でしていた。その勘定口座による売上一九、二〇〇、〇〇〇円と仕入一六、〇〇〇、〇〇〇円との差額三、二〇〇、〇〇〇円につき鈴木文平の所得としての申告はない。」
以上認定の事実を総合すれば得三と鈴木商店との取引は委託販売ではなく売買であること、売上と仕入との差額は得三の所得であると認めるのが相当である。成立に争いのない甲第四号証(鈴木孝昌に対する質問てん末書)、第二三号証(川久保栄三に対する証人尋問調書)、証人川久保栄三の証言(第二回)中右認定に反する部分は採用しない。
(七)の中央染工貸付金、(八)の東洋晒染貸付金について。
原告は右(七)(八)の無記名定期預金計一五、〇〇〇、〇〇〇円は両会社の所得の裏勘定であつて、得三の所得ではないと主張する。
(1) 成立に争いのない甲第八、第九第一五、第一六号証と証人伝崎正郎の証言を総合すれば次の事実が認められる。
「中央染工の第一銀行五条支店設定の無記名定期預金第九六一四号二、〇〇〇、〇〇〇円(別表第二の(七)の(イ))は三和銀行守口支店の得三名義の当座預金から振り替えられたもの、三和銀行守口支店設定の無記名定期預金第一一号五、五〇〇、〇〇〇円((七)の(ロ))中の五、〇〇〇、〇〇〇円は同支店の得三名義の当座預金から振り替えられ、残五〇〇、〇〇〇円は同支店の中央染工の一、〇〇〇、〇〇〇円の預金から振り替えられたもの、東洋晒染の三和銀行守口支店に設定の無記名定期預金第一二号四、五〇〇、〇〇〇円((八)の(イ))は同支店の得三名義の当座預金から振り替えられたもの、第一銀行百万遍支店設定の無記名定期預金一、五〇〇、〇〇〇円宛計三、〇〇〇、〇〇〇円((八)の(ロ)(ハ))は三和銀行守口支店の得三名義の当座預金から振り替えられたものである。」
甲第一五号証中右認定に反する部分は証人伝崎正郎の証言と対比し採用しない。
(2) 証人川久保栄三の昭和三四年四月二日の口頭弁論期日における証言によれば同人は「ブローカー的取引による一五、〇〇〇、〇〇〇円の収益はフエンツの処分が大部分ですがその他に統制品以外の品物も入つていました。フエンツは両会社から出たものです」と述べているが、成立に争いのない甲第二三号証(名井得三外一名の所得税法違反等被告事件において証人川久保栄三に対し、昭和二六年一二月一七日行なわれた証人尋問調書)によれば、同人は「名井商店の本来の取扱品目は作業衣、学童服等統制品ですが、得三は右の外スフのカツターシヤツ、スフの肌着、チヨツキ、ズツクのバツグ、毛皮、ミシンの部分品等のブローカー的取引をしていました」と述べ、ブローカー的取引はフエンツの処分であつた旨は一言も述べていない。
(3) 成立に争いのない甲第二四号証(前記被告事件における証人新井基一郎事朴淇周に対する証人尋問調書)中左記趣旨の記載部分「昭和二四年六月からその年の一〇、一一月頃まで綿布、綿製品、絹製品、スフ製品等一三、〇〇〇、〇〇〇円位を買つた。右取引の交渉は川本と話をしたがほとんど名井の前でその話をした。その場所は曽根崎の事務所であつた。私は同事務所を名井商店の事務所と思つており名井商店と取引したと思つている。」
(4) 成立に争いのない甲第二五号証(前記被告事件における証人伊藤正男に対する証人尋問調書)中左記趣旨の記載部分「昭和二四年初めから夏頃まで綿織物、麻、かや、袋物、ボストンバツグ等二三、〇〇〇、〇〇〇円位を名井と取引したことがある。取引は名井が名井個人としてしたのか、中央染工、東洋晒染としてしたのか分らない。私はただ名井が品物を出してくれるもんやと思つていた。」
(5) 成立に争いのない甲第二六号証(前記被告事件における証人佐治嘉一郎に対する証人尋問調書)中左記趣旨の記載部分「私は昭和二三年一二月以来中央染工の本社の経理を担当している。本社の経理は私一人の担当である。昭和二四年一〇月頃国税局の査察を受けたことがあり、三和銀行守口支店に無記名定期預金のあることが発見されたが、私の全然知らない預金だつた。中央染工の会社の帳簿には載つていないので七、五〇〇、〇〇〇円について中央染工とは別個のものである。」
(6) 成立に争いのない甲第二七号証(前記被告事件における証人加藤徳太郎に対する証人尋問調書)中左記趣旨の記載部分「私は昭和二三年の終りから二五年の三月頃まで名井商店の帳簿の監督や会計の事務を取つたことがある。名井商店の営業内容は作業ズボン、作業シヤツ、学童服ジヤンバー等の当時の配給品で商工省から割当を受けて仕入れ、切符によつて小売業者または地方団体に売り渡していた。統制品以外の物も扱つたがこれは記帳しなかつた。記帳していない取引の金の出入も銀行を通じていた。」
(7) 成立に争いのない甲第二八号証(前記被告事件における証人川本正已に対する証人尋問調書)中左記趣旨の記載部分「私は得三の妻の妹婿で名井商店の営業と経理を監督していた。名井商店の営業内容は衣料配給規則に基づく繊維品の卸売をしている。名井が関係した取引で記帳しないのがある。それは東洋晒染と中央染工が資金に困り金が要るために名井が繊維製品の取引を多方面に亘つてやつていた。この取引は名井個人の所得になるのかどうか私自身も分らない。帳薄外取引の儲つた分は昭和二四年度に七、五〇〇、〇〇〇円ずつ両会社の課税の対象になつたから計一五、〇〇〇、〇〇〇円儲つたことになる。」
(8) 証人岸義朗の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証中名井得三の検察官に対する供述としての左記趣旨の記載部分「昭和二四年度の事業による利益は二四、二二三、三七九円〇五銭であるがそのうち作業衣学童服等いわゆるA勘定による利益は約一〇〇万円でその余はいわゆるB勘定による衣料品雑品の取引による利益である。予定申告では少なくとも一〇、〇〇〇、〇〇〇円以上の事業所得を申告しなければならない訳だが約一、〇〇〇、〇〇〇円の申告をしておいた。これは作業衣、学童服等いわゆるA勘定に属する取引の利益を基礎にして申告し衣料品雑貨の取引によるいわゆるB勘定の利益を申告しなかつた。作業衣、学童服等の取引だけを正規の帳簿に記載させ、衣料品、雑貨の取引は主として私や川久保栄三、川本正已がいる桜橋の東洋晒染、中央染工の本社事務所でやつていて、この方の取引については正規の帳簿には記載しないでおいた。利益の一部を帳簿に記載しないでそれに対する税金を免れるためであつた。私は私の所得のほとんどを東洋晒染、中央染工の両会社に匿名で貸し付けている。この貸金は会社の出目を売つて作つたものでもなく、また会社の金を社長が預つていたものでもなく、全く私個人の金を会社に融通していたのである。この貸付金は各会社に対して各七、五〇〇、〇〇〇円ということになつていたから合計一五、〇〇〇、〇〇〇円となる。」以上(1) 、(2) の事実、(3) ないし(8) の各記載部分を総合すれば、東洋晒染の七、五〇〇、〇〇〇円の無記名定期預金中央染工の七、五〇〇、〇〇〇円の無記名定期預金中の七、〇〇〇、〇〇〇円(別表第二の(七)の(イ)の二、〇〇〇、〇〇〇円と(ロ)の五、五〇〇、〇〇〇円中の五〇〇、〇〇〇円を除いた五、〇〇〇、〇〇〇円の合計)合計金一四、五〇〇、〇〇〇円は名井得三のいわゆるブローカー的取引による得三個人の所得を両会社に貸し付けたものであつて、右会社の所得裏勘定ではないことが認められる。甲第二三号証証人川久保栄三の証言(第一回)中右認定に反する部分は採用しない。
原告は右七、五〇〇、〇〇〇円ずつの無記名定期預金は両会社の所得として確定したのであるから、更に得三の所得として課税することは許されないと主張するが、右認定のとおり一五、〇〇〇、〇〇〇円中の一四、五〇〇、〇〇〇円は両会社の所得ではなく、得三よりの借入金であるから、会社の所得として課税したことが誤つているわけである(証人伝崎正郎も「私は得三個人の所得であるのに、法人に間違つて課税された分もあるので法人所得を減額するようにしました」旨証言している)。会社の所得としたことが是正さるべきであつて、そのことのゆえに真実に合致する得三に対する課税を非とする原告の右主張は理由がない。
以上のとおり原告が被告認定の所得金額より控除すべきと主張する各金額中(七)の(ロ)のうちの五〇〇、〇〇〇円はその理由があるがその余の部分はいずれも認められない。
よつて得三の昭和二四年度の所得につき、後に大阪国税局長により一部取り消された被告のなした更正処分二四、四八七、九七六円四二銭中二三、九八七、九七六円四二銭を超える五〇〇、〇〇〇円の部分は違法であるので、原告の本訴取消請求はこの限度において正当としてこれを認容するが、その余の部分は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 平峰隆 中村三郎 上谷清)
別表第一
原告の申告額 被告の更正額
所得金額 一、四四五、〇〇〇円 二四、四八七、九七六円
基礎控除額 一五、〇〇〇〃 一五、〇〇〇〃
差引所得金額 一、四三〇、〇〇〇〃 二四、四七二、九七六〃
算出所得税額 九〇六、〇〇〇〃 二〇、二八五、四六五〃
扶養控除額 五、四〇〇〃 五、四〇〇〃
差引所得税額 九〇〇、六〇〇〃
源泉徴収税額 一〇三、〇三五〃 九九、〇三五〃
差引所得税額 七九七、五六五〃 八〇一、五六五〃
差引不足税額 一九、三七九、四六五〃
加算税 一一四、三三六〃
追徴税 四、八四四、七五〇〃
税額合計 二四、三三八、五五一〃
別表第二、第三<省略>
別表第四 別表第三の収入の部売上金額七七、三三三、六〇四円一銭の内訳<省略>